東京高等裁判所 昭和27年(う)2098号 判決 1952年9月10日
控訴人 被告人 木下光治
弁護人 内藤惣一
検察官 田辺緑朗関与
主文
原判決中被告人に関する部分を破棄する。
被告人を懲役拾月に処する。
但し本裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。
押収に係る外国人登録証明書第二五二、八七八号一通(昭和二七年領第二二号の一)の浜松市長岩崎豊の署名並に同市長の職印の印影部分はこれを没収する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人内藤惣一名義の控訴趣意書記載の通りであるから茲にこれを引用する。
論旨第二点について
押収に係る所論外国人登録証明書第二五二、八七八号を本件記録と対照査閲するに、その発行者欄に浜松市長岩崎豊のゴム印並に同市長の職印が押捺されている外、性別、国籍、出生地、入国、住所、有効期間の各該当欄には夫々原判示のような記載があるけれども、最上部の氏名欄が空白の儘となつていることは所論の通りである。惟うに外国人登録証明書なるものは、外国人登録令の規定に基き所轄の市区町村長が外国人より登録申請を受けた場合に所要事項を登録した上その証として申請人に交付されるものであつて、右証明書の交付を受けた外国人は常にこれを携帯し所定の官公吏の請求があるときは、これを呈示すべき義務を課せられているのである。斯る登録証明書の趣旨目的に稽えれば、これに記載すべき諸事項のうち登録を受けた外国人が誰人なるを特定表示すべきその者の氏名こそは、実に登録証明書の中核をなすものであるから謂わゆる絶対的記載要件であるというべく、従つて右氏名の記載を欠如するときは外国人登録証明書としての効力を有しないことは勿論、所定官公吏に対し該証明書たることを信ぜしめるに足る形式外観をも具備しないものと解するのが相当である。して見れば、本件登録証明書はその形式よりしても外国人登録証明書として未だ完成していないものといわねばならないから、被告人等が行使の目的を以て原判示登録証明書の用紙に原判示のような記入押印等をしたからといつて、右行為を公文書偽造罪に問擬することはできないに拘らず、原判決がこれを公文書偽造罪の既遂である如く認定処断したのは畢竟、法令の解釈適用を誤つたものと断ぜざるを得ない。而してこの違法が判決に影響を及ぼすことは言を要しないから論旨は理由があり、原判決中被告人に関する部分は他の論旨に対する判断を俟つまでもなく、この点において破棄を免れない。
よつて更に被告人の本件所為につきその罪責の有無を審究するに、所論は刑法が公文書偽造の未遂を処罰する規定を欠くの一事を以て直ちに本件が無罪である旨主張するけれども、被告人が原判示事情の下に浜松市長岩崎豊のゴム印並にその職印を原判示登録証明書用紙に冒捺した上該署名並に印章を使用した点は公務員の署名印章を不正に使用したものに外ならないから刑法第百六十五条第二項に該当すること明白である。ところで訴因とは公訴事実を法律的に構成したものをいうのであるから、本件の如く公文書偽造の起訴に対してその構成要件たる公務員の署名印章不正使用の事実を認定するについては、敢て訴因罰条の変更手続を経る必要がないものと解するのが相当である。然らば本件は記録並に原審において取り調べた証拠により直ちに判決することができるものと認められるので、刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書に則り原判決中被告人に関する部分を破棄し、更に当裁判所自ら判決することとする。
よつて審按するに被告人は浜松市主事補として同市戸籍課に勤務し外国人登録に関する事務を担当していたものであるところ昭和二十六年二月初頃予て顔見知りであつた原審相被告人金泰俊から登録原票に登載されていない氏名不詳の者の写真を差し出され、右写真により再交付の形式を以て外国人登録証明書を作成せられ度き旨の請託を受けてこれを応諾し、同月五日頃浜松市役所戸籍事務室において右写真の人物については全然登録原票がないにも拘らず、外国人登録証明書用紙第二五二、八七八号に右写真を貼付し、これに静岡県の浮出のプレスをし、その発行者欄に擅に浜松市長岩崎豊のゴム印並に静岡県浜松市長之印と刻した職印を夫々冒捺し、且つ右職印を以て有合せの紙と契印し、なお国籍欄に朝鮮、欄外に再交付の各ゴム印を押捺し、氏名欄はその余の欄と共に前記金泰俊において任意に記入し得るように空白とした儘、右浜松市長の署名並に同市長職印の印影ある該登録証明書一通(昭和二七年領第二二号の一)をその頃同市において右金泰俊に交付し、以て公務員である浜松市長の署名印章を不正に使用したものである。
右の事実は
一、原審第一回公判調書中被告人及び原審相被告人金泰俊の各供述記載
一、被告人の司法警察員に対する第一回供述調書中の供述記載
一、原審相被告人金泰俊の司法警察員に対する第一、二回各供述調書中の供述記載
一、押収に係る判示に吻合する署名並に印影ある外国人登録証明書第二五二、八七八号一通(昭和二七年領第二二号の一)の存在
を綜合してこれを認める。
法律に照らすと被告人の判示所為は刑法第百六十五条第二項前段第一項に該当するから、その所定刑期範囲内で被告人を懲役十月に処し、情状に鑑み同法第二十五条を適用し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予すべく、押収に係る主文掲記の外国人登録証明書一通の浜松市長の署名並に同職印の印影部分は本件犯行により生じたもので、何人の所有にも属し得ないものであるから同法第十九条第一項第三号第二項によりこれを没収することとする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判長判事 稲田馨 判事 坂間孝司 判事 石井文治)
控訴趣意
第二点原審判決は外国人登録証明書用紙第二五二八七八号に被告人木下は所定の印章を押したのみであり其他の記入は相被告人金泰俊が記入したのであるが原判決は外国人登録証明書一通の偽造を遂げたものであると判示した。然れども被告人木下は前述の如く所定の印章(浜松市長)を押したのみであつて他は金泰俊が記入したものである事は判示の通りであるが第一点に於て主張した通り金泰俊と共謀の事実がないとすれば被告人が証明書用紙に印章を押したのみであるとすれば証明書は未だ完成したものとは云えない。而かも相被告人金泰俊が後を記入した事実があつても証第一号証として押収されたる第二五二八七八号はまだ以て完成したる証明文書とはならないし公文書偽造罪は目的罪であり行使の目的が無ければ成立しないのであつて目的を達せられない物を作つても犯罪は成立しない少くとも何処へ持つて行つても証明書として通用しないものは完成とは云えない。況や本件証明書には氏名も住所も記載されて居らない。例えば手形を偽造する場合に於て他人の住所氏名印章を偽造しても金額の記載がなければ完成の手形とは云い得ないと同様に本件第二五二八七八号は証明書として通用しないのである。即ち公文書偽造の未遂と云わなくてはならない。若し之を未遂とするならば刑法第一五五条は未遂罪を罰せないから本件は当然無罪である。然るに原審に於ては慢然偽造を遂げたものとして処断した事は事実誤認であり法律の解釈を誤りたる違法あるものであつて破棄を免がれざるものと信ずる。
(その他の控訴趣意は省略する。)